八ヶ岳、小淵沢に住む山岳ガイド、加藤美樹・久野弘龍が、ヨーロッパ・シャモニやドロミテ、国内の雪山、冬山、バックカントリースキー、夏山、登山・クライミング教室、ガイドを行っていま
す。



 クロアチア(イストラ半島)国際氷河ガイド検定試験のその後       

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2011年7月18日〜23日

今年も、クロアチアでバカンス!

イストラ半島の西海岸、小さな港町「ファザーナ」に滞在しました


国際ガイド検定で、すっかりやつれた躰に英気を養うため、一路クロアチアへ。
フランスのシャモニからクロアチアまで行くには、一旦スイスへ北上するか、モンブランの下を通るモンブラントンネルで直接イタリアに入るか。

火災で多くの死傷者を出して長く通行止めだったこのトンネル。
やっぱり便利ではあるけれど、一週間有効の往復券が45,90ユーロで約5千円と、そうそう気軽には使えない。

でも今年のバカンスは1週間以上も無いから、トンネルで直接イタリアに入ります。

そしてイタリアを高速で東へ横断して、更にスロベニアを通過、8〜9時間ほどのドライブです。


みょ〜に、浮かれてるクノ


 8時間でスロベニアから、EU圏外のクロアチアへ国境を越える。更に1時間、高速を走って、イストラ半島の先端にある主要都市プラよりも一つ手前から一般道に降りる。

 クロアチアの高速は、昨年来たときよりも完成度が進んでいて、まだ大きな橋では突然に交互通行になったりするものの、ほぼプラまでイストリア南北の全線が開通していた。これで無料
区間は無くなっていたものの、延々走って4,5ユーロくらいなのだから格安だ。

 海へ向かってオリーブ畑しかない田舎道を下っていくと、斜陽に輝くアドリア海と、小さな鐘楼が見えてきた。ファザーナの街だ。

 インフォメーションで民宿を訊いたが、シーズンに入っているせいか結構割高。狭い街を一回りしてみて、その観光客の多さに、「これでは仕方ない」と、戻ってIセンターで始めに聞いた宿
へ案内してもらう。

 その宿も、5人用キッチンシャワー付きの良い部屋しか空いていなくて、一泊55ユーロだという。新築で設備は良かったが、私達にはオーバークオリティーなので1泊だけで移動しようと思
ったら、オーナーの若夫婦が「45ユーロでいいから、2,3泊してくれないか?」と言ってくれる。

 交渉成立でとりあえず3泊することにした。今回の旅は基より二人とも疲れが酷いので、そうそう移動しまくる訳ではない。気に入れば、この町に滞在するだけでもいい。


街のインフォメーションへ行けば、空いている民宿へ案内してくれる


料金は設備とベッドの数で決まる(この部屋はダブルベッドルームが二つに簡易ベッドも一つの、五人部屋だった)


 いずれにせよ国を離れてから、1日としてのんびりすることの無かった私達だ。シャモニでは、午前だけでも天気が保てば高所順応へ上がる。朝から雨でも、午後晴れれば岩場へ行って
レスキューワークだ、山へ行って帰りが早ければ、氷河でのクレバスレスキューだのと、それこそ忙しなく駆け回ってきた。

 夜も、これまでは大部屋(ドミトリー)に滞在する人数の多さで、室内の空気が悪かったり、騒音が酷かったり、またENSAの宿舎では精神的プレッシャーといったものからだろう。不眠に
悩まされ続けて来たというのに、普段は寝付けない車の助手席でさえ、猛烈な眠気が襲ってくる。

 また殊の外、今年のヨーロッパアルプスは天候不順で、5、6月が猛暑、そして7月に入ればシャモニの谷は暗い雲に覆われた日が多く、2,3日周期くらいでしか好天は保たなかった。

 その暗い陰鬱な谷を出て、イタリア北部の広い平野に出た途端に、暖かな空気と開放感で、私の緊張しっぱなしだった体は、すっかり緩んでしまったらしい。

 とにかく眠く、宿に入っても青空の広がる時間まで、こんこんと眠り続けていた。

 延々と眠り惚けて、9時を過ぎてからオーナーのくれた豆でエスプレッソを淹れ、ここまで持ち歩いてきた仲間達の置きみやげであるコーンフレークスを、漸くたいらげた(フランスではバケ
ットでしたから)。



 で、初日はやっぱり海でしょう!

 ボートタクシーを呼び込みの兄ちゃんに頼んで待つ間、雑談をする。地中海では入れ墨が流行っているらしく、そういえばシャモニで同宿だった外人部隊出身のパクさんも、上半身一杯の
凄い入れ墨だった・・・

 漢字の入れ墨をしたいと言う彼の名前を、日本語では「平和」だと教え、「じゃ、俺の友達のサラは?」と訊かれて、しばし悩む。
「沙羅双樹の沙羅?でもこれ、字画多すぎるし、何だか族っぽい・・」

久野にも訊いてみたら、「サラねぇ・・・まっさらの意味でピュア、純でいいんじゃない?」
おぉ!意外にセンス、あるじゃない?

 
 昨年の2010年は、うだるような猛暑だったが、今年はヨーロッパ全土が天候不順なのか?もとより海水温の比較的低い、アドリア海北部の水は、今年は特に冷たく感じる。

 以前訪ねたマルセイユ東部のカランクも、その内陸部プロヴァンスの吹き荒れる熱風からは想像もつかないくらいの、海水温の冷たさで知られている。

 地中海北部全体が、アルプスの水の直接流れ込むことによって海水温が低いのか、もしくは日本が黒潮の影響を受ける特有の海洋性気候であるため、緯度の割には暖かな海水温を持
つのだろうか?


ファザーナ沖の離島で、最も小さく近い島の、小さな突堤(ドック) ここでまず、国立公園の入場料を払う


晩ご飯は、気になる一杯飲み屋の「アントニオ」が満席だったので、お向かいのレストランへ


明日は早めに「アントニオ」だ!



ファザーナ滞在2日目は雷雨。夕方から街に繰り出し早めの食事。


クロアチアでは酒税法なんてモノがないのか?宿の息子夫婦のママが、天気の悪い日に差し入れしてくれた、クレープと自家製ワイン
(手作りのワインもクレープも、素朴な味わいで美味しかった!)



念願の「アントニオ」 他の観光客も昼の出だしが遅かったらしく、夕食の時間になっても席は比較的空いていた

この店の入り口脇の部屋へは、空のペットボトルを抱えた人々も出入りする。ワインを売っているのだ。


夕食後は海岸線を、大型キャンプ場まで散策 「これぞモネの世界だ!」


と・・・久野が嬉しそうに撮った「空」


確かに波紋の色彩が、モネっぽい?


そんなパステルカラーの世界にあってなおも、鉄棒なんぞ見つけたりしちゃったら?
つい、懸垂してしまう・・・悲しきかな?クライマーの性


この平和な光景にはそぐわない、何か共産圏時代の収容所っぽい宿舎の残骸が、この海岸沿いには放置されています


KT?オマエはココじゃ、泳げないんだってサ


「ぼ〜」っと、色の移り変わりを眺めるだけ


ただそれだけでも心地よい



 3日目、やっぱり海でしょ。
同じ呼び込みの兄ちゃんにボートを頼む。


離島には、ビールくらいは飲めるカフェもあるし、トイレもある(向かいの島には、戦時中の砲台跡もある・・)


今夜も雷雨になりそうだ


広場でやっていた催し物と、直産市

クロアチアの伝統舞踊らしいが、何だか小学生の頃踊った、フォークダンスのマイムマイムに似ているような。
男女が手を取り合ってステップを踏んだり、手を掲げてくるくる回る。

違うのは、最初に同じ瓶の酒を、みんなで回し飲みしてから踊り始めること?



 4日目は趣向を変えて、イストラ半島の内陸部に点在する、中世の城塞都市を巡る。


まず初めに「Svetvincenat」13世紀からの町並みと、19世紀のシタデル(城壁)を残す静かな街を訪ねる。


城壁内を覗いたら、何故か日本人?
クロアチアでは日本人はおろか東洋人など見たことがなかったし、しかもこんな田舎町で会ったことに、お互いビックリ!

 彼らは城壁内で今夜催される演劇会で、舞踏を演じるのだとか?
22時開演だとかで、翌日はフランスまで帰らなければ行けない私達は、見には行けませんでした。


2番目は、見落としかねない小さな村「Beram」 こんな程度の丘に建つ集落は、幾らでも点在しているのですが・・・
このただの田舎とも取れる集落にも、実は歴史的価値のある史跡があるのです


街に車を置いて歩く 「あれぇ?ホントにこの先に・・・教会ってあるの?」


「あった、あった!小さな聖堂が」 ここの鍵は、地元の人に借りないと入れません

最初に電話をして鍵を借りて来てくれたイギリス人と、車で来たフランス人と、みんなでボンヤリ待つこと20分くらい?
クロアチア人の「すぐ行くわ」って・・・・

開けてくれたおばちゃんに見学料を払って、各々に英語やドイツ語、イタリア語の案内書を読みながら見学。
けれど目が慣れるまではよく見えない。


正面扉の上に描かれているのが、「踊る骸骨」 骸骨と人間が交互に並んで行進しています


15世紀からのフレスコ画は、教会の壁全面に描かれていて、土壁の窓から差し込む光だけでだけで見るそれは、中世独特の無表情
無表情の割には残酷なシーンも何気なく描かれており、漸く闇に慣れてきた目には、更に不気味なものだった


3番目の街は「Motovun」


丘の上に広がる典型的な中世の街


赤い瓦屋根の甍が、二重の城壁を囲む
遠くから眺めるのには素敵な街だが、路地にはチョット観光客が多すぎるかな


4番目の街は、遺跡と化した「Zavrsje」


英語版の「GET TO KNOW ISTORIA」の写真に、魅せられて走ったその先は、長〜いダートだった
「ひぇ〜っ このルノー・トゥインゴって、新車のレンタカーなんですけどぉ!!」


昔は何故だか鉄道も来ていたという街だが、既に廃墟となり、住む家は僅かしか無かった
北側の丘陵地を越えてくれば、舗装路からもアプローチできますが、史跡と呼ぶよりはむしろ廃墟なので、わざわざ行く必要もないでしょう


5番目は「Groznjan」


ブドウ棚が涼しげな木陰をつくる

人の暮らしもあって、小さなギャラリーも一杯ある洒落た街(観光客も少な目で、ここが一番良かったかな)



しかし、もうこの頃には、何処の中世の街もおんなじに見えて来ていたりする・・・のだけれど

この頃には昼をとうに過ぎていたのだけれど、お食事処に関しては、ココもまともなレストランは一件だけ。やはり観光地価格で大したメニューも無い。最初の街には安いピザ屋があったけ
れど、後は何処も観光地価格で、食の楽しみだけはやはり南仏に軍配が上がるだろう。


更に6番目は、漸く国道沿いに下りて普通に人の住む「Buje」へ

・・・もうこの頃には、二人とも街巡りと空腹でグッタリ。だって中世の街は、何処も坂道、そして狭い路地を歩き回らなければならないのだ。


流石にピッツエリアもジェラテリアも充実!何も内陸部の奥まった小さな街を訪ねなくとも、案外国道沿いの方が良いかも?

クロアチアではまだ、増え続ける観光客の割合に対して、十分な対応が出来るだけの外食産業が不足しているようだ。


テーブルの下で、分け前を待つチビ虎


で、やっぱり夕餉は「アントニオ」 結局は今年のクロアチア滞在は、この港町から移動する気力がありませんでした。。


今夜のメインディッシュは、アンチョビ(鰯)のグリルに、小魚のフリット、カラマリ(烏賊)のグリル


暑い厨房の奥、真剣な眼差しで鰯を焼く父ちゃん
(ちなみに、この人がアントニオなのか?しかしココのお母さん、向かいの酒屋のオッちゃんにも「アントーニオッ」と、叫んでいたが?)


久野のデザートはモチロン、ジェラードで、私のデザートはこの眺め


サンセットクルージングの船が、港に戻ってきました

「Fazana」の港とも、もう今夜限りのお別れです。。




フランスに戻る最終日は、「Rovinj」に寄って帰る。

イストラ内陸部の街を散策しまくった割には、やっぱりココは外せません!

ダルマチア地方がヴェネチア公国の支配下にあった時代に栄えた港町ロビンユは、ヴェネチアの象徴である「翼を持つライオン」を掲げたゲートなども残る史跡の街。

結局はココが、最もレストランもジェラテリアも選り取りみどりで、この沿岸部の観光地としては充実している。

新市街のバスターミナルからは各所へ通じ、旧市街も教会も、過去の繁栄を如実に物語る規模がある。

ただ、民宿は主に裏山の閑静な住宅街にあるので、街に下りるのがいささか面倒なのだ。
旧市街にも宿は取れるが、車では入ることが出来ない。


でもやっぱり、ISTRAでは一押しの観光地!海上に浮かぶその姿は、朝の光を受ける午前中が、最も美しい



そしてバカンスシーズンの始まった国境へ


何と!昨日来た「Buje」の手前から、高速は延々と渋滞!2時間並んでやっと通過〜 これじゃ、今日中にフランスに帰れるのだろうか?

対向車線も、近隣はドイツ、イタリア、ルーマニア。遠くは北欧やベネルクス3国、ロシアから?
ヨーロッパ各地からのバカンス客を迎え、凄まじい渋滞振りなのだ。民族大移動は、何も日本に限ったものでは無いらしい・・・

更に予想されたミラノ周辺での渋滞は、週末だったせいかスンナリ通過。

お陰で約10時間で、シャモニへと戻ることが出来たのでした。





クロアチア朝食こもごも

 我が家は日常的に運動している以上、朝食は適当に済ませたくないので、フランスなら毎朝バケットを買いに行く(正確には行ってもらう)。軽く野菜や卵も焼くし、バターや蜂蜜も用意す
る。フランスだとキャンプ場でもバケットが売店にあったり、売りに来たりするものだ。

 ところがイタリアやクロアチアの食習慣は、朝食は甘いエスプレッソを中心に、軽く何かを口にするだけ。だからドロミテなどのキャンプは、何とインスタントラーメンに野菜を混ぜたりして食
べていたりする。

 こんなところはやはり私達もアジア人だと考える。香港やシンガポールの人達だって、ラーメンではないにしろ、もっとあっさりした魚ダシのシナソバみたいなものを、屋台やビルの一階部
にあるフードコートなんかで啜っている。

 シャモニで取る自炊宿も韓国人経営なので、韓国人団体が大挙して同宿する日には、キッチンが大変なことになる。彼らは必ずといっても良いほど白米を炊くし、キムチも持ち込む。(もち
ろん山小屋へも、行き先がモンブランでもマッターホルンでも持っていく)先日は残りご飯で、朝から大量の炒り卵を作っているので何かと思えば、炒飯作りに燃えていたようである。


 そしてクロアチアでは。私達も多くのバカンス客と同じくブラブラすしているだけなので、朝はエスプレッソと果物に、あるもの(例えばビスケット)を少々だけ口にする。

 海へ出て船で渡してもらう日などは、ビールにナッツなど適当。街にいる日は、町歩きでお腹が空けばレストランで軽く食べ、スウィーツにはジェラードを、夕食では安く上げるならピッツァ、
魚が食べたければイカやイワシを香草とオリーブ油で炒めたものなんかをつまみに、ビールやワインを飲む。

 ただし、他のバカンス客は、これを昼も夜も続ける。そしてデザートは、山盛りのジェラードである。


ピザは普通の日本人なら、1人一枚は食べきれない(久野は食べるけど)





クロアチアのバカンス客

 クロアチアで長期の滞在をしに来るのは、主にドイツ人だ。イタリア人も地理的に近いので多い。彼らバカンス客は、いずれも子供から大人までの共通点が、デブであること。


そして欧米人は、例えデブじゃない人だって、東洋人よりも「寒さ」に強い!


ちなみにファザーナの売りは沖に浮かぶ国立公園の島々であり、食の売りは、何故だかイワシだ。


焼きイワシの屋台


イカの墨焼き(シパ)


 海外からの観光客の多い町並みの美しいロビンユや、世界遺産の教会があるポレチュ、円形劇場のあるプラなどが、同じ海岸線に列ぶせいか、来ているバカンス客もドイツ人でもクルー
ザーまで持ち込むセレブは少なく、むしろクロアチア国内の観光客も多い。

 ファザーナはどちらかといえばローカルな雰囲気はあるけれど、今ひとつ洗礼されていない田舎町といった感はいなめない。

 旧ユーゴ時代のものかと思われる史跡にもなりえない工場の廃墟や、海水浴場の監視台の脇には戦中のトーチカ(塹壕)も、のどかな水色のペンキに塗りかえられてはいるものの、その
ままに残されていたりする。

 そんな海岸線を散策するバカンス客を眺めていると、戦後復興に観光立国としての成長を図るクロアチアと、通貨の安いそんなクロアチアになだれこむ、近隣の先進国のバカンス客、彼ら
の肥に肥えすぎて肥満しきった姿に、何かが違うような疑問を、感じずには居られない。

 もちろん私達も、通貨の価値が違うからこそアジアを巡ったり、このクロアチアにも来たりする。それらが出来るようになったのは、戦中に亡くなった多くの命と、戦後復興に奔走してきた親
の世代があるからだ。

 バカンス客のお国元にも、それぞれの事情はあるだろう。それでもやっぱり、何故彼らはあれほどまでに肥え太ったのだろう?

 ヨセミテでも巨大な体を揺すったアメリカ人や、インドからの富裕層が闊歩している。その何段にもなった腹のお肉分でも、美食や持てあます時間を他の層に配分するのが、こういった後進
国での散財だとも言えるのかもしれない・・・。



 ファザーナからのボートタクシー


こちらはボートタクシーの船頭?さん 近い離島まで1人1000円くらいで渡してくれる


 国立公園の島に泳ぎに行くには、定時の便だと往復6ユーロくらいで、個人でボートを頼んで帰りは定時に乗せてもらって往復8,5ユーロくらい(千円)。

 水はもちろん島の方が綺麗だが、国立公園の入園料の30kN(約4ユーロ)が各人必要となる。

 アドリア海も含めた地中海は、石灰岩質のせいか、透明度も高く独特の青色をしているが、海底の複雑さや魚の種類や多さには欠けている。ギリシャ辺りまで南下すれば別かもしれない
が、水温は低くて寒い。南仏も然り。

 シュノーケリングするなら、暖流と寒流の複雑に絡み合う日本の方が、伊豆の海でさえ回遊死滅魚といった熱帯魚が泳いでいたり、大型の回遊魚なんかも平然と近海に巡ってきたりもす
るので断然面白い。

 また海外であれば、東南アジアなどの方が海水温は温泉並に暖かく楽しい。
 
 その冷たさ故に、終始泳いでるのは欧米人でさえ子供くらいのもので、増して寒さに弱い東洋人には無理がある。昨日もドイツ系の女の子と、浅黒いアジア系の男の子のカップルが居た
が、水に入りたい彼女に震えながら付きそう彼氏が、とても健気だった。。

 ちなみにクロアチアの、特にこんな田舎にはアジア人の団体なんて皆無だし、東洋人であるだけで常に何気なく、特に邪気のない瞳の幼児などには、ジィッと見つめられたりもする。・・・こ
れには慣れるしかない。




 クロアチア人にとっての日本人


クロアチアでは、東洋人そのものが珍しい


 この春の日本に起こった大災害は、国によっての反応は様々かもしれないが、人によって、人種によっての反応に違いはないようだ。幾度となく、皆一様に訊くのが「ツナミは大変だった
ね。あの人達は今はどうしてるの?食べるものや住むところはどうなったの?」といったことだった。

 それぞれ多くの人の、気に掛けてくれていることが解る。

 昨日はボート乗り場の呼び込みをしている兄ちゃんが、呼んだボートが来るまでの雑談で、やはりこういったことを心配そうに尋ねてきた。
 「この町でもたくさん亡くなった子供の学校に、ここの学校から子供達が寄付をしたんだ」

と、どう考えても生活水準が高いとは思えない国の、そのまた地方の街なのに。

 また地中海沿岸ではタトゥー、特に漢字の入れ墨が流行っているようだが、彼の名前は「クロアチア語だとライク・ピースで、それを漢字で教えてくれ」と言う。

「平和みたいなモノか・・・」そういえば、彼の世代なら、生まれたとき、この国は戦中だったはずである。
 「平和」と二つの文字を、紙に書いてあげると「この文字を、俺の体にタトーするんだ」と、嬉しそうだった。まぁ・・・訳解らない漢字を、入れ墨として生涯の体に刻むよりは、「平和」なんだか
らマシだろう。

ちなみに、彼の知っている日本語が一つあるという。

 フランス映画の「タクシー」を観て仕入れたというから、リュック・ベンソン3作目くらいの「タクシー」に出ていた日本のヤクザが、度々手を合わせて頭を下げる「コンニチワ」なのだろう。

 どちらかと言えばソレって、「ナマステ」なんじゃないの?とは、思ったけれども・・・・



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