八ヶ岳、小淵沢に住む山岳ガイド、加藤美樹・久野弘龍が、ヨーロッパ・シャモニやドロミテ、国内の雪山、冬山、バックカントリースキー、夏山、登山・クライミング教室、ガイドを行っていま
す。国際山岳ガイド連盟・日本山岳ガイド協会所属

 山岳ガイド ミキヤツ登山教室の山行記録 タウリラフ        

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2007年6月15日〜19日


夕暮れ時の「タウリラフ西壁」をバックに、ナゼだか、すっかりトレッカー?


6月16日
初めて訪れる、サンタクルス谷を歩く。

 このサンタクルス谷には、世界的にも名のある山「アルパマヨ」へのアプローチであると同時に、コルディエラ・ブランカの中で最も人気のあるトレッキングルートでもある。

 この峠越えツアーや、アルパマヨベースへのトッレキング客が主体なだけに、この谷では登山者より、むしろトッレカーの方が多い。

 登山口のカシャパンパでも、ちょうど日本人のトッレキングツアー客がバスで去っていくところだった。
 アンデスを縦断するこの長大な谷は、1日では抜けられず、峠であるプンタウニオンまで行くには、途中2泊を要する。更に反対側へ抜けていくとなれば数日を要する、長いトレッキングル
ートになる。




 サンタクルス谷トレッキングで見られる山
 「サンタクルス」や「キタラフ」など (ほかにもたくさん見られます)


 私達のベースであるタウリパンパ(4250b)は、その峠の手前にある、トレッキング2泊目の宿泊地だ。
 入山した一日目は3時間ほどを歩いて、ラグーナ(湖)の下流で一泊。二日目は4時間ほど。

 これなら一気に行けそうな気もするのだが、それでは最大50`もの荷を担ぐブーロが参ってしまう。
それに人間様だって、標高4千b前後を16`にも渡ってダラダラ歩くのだから、疲れないはずもない。

 やがて道はアルパマヨベースと分かれ、人が極端に減って一登りすればタウリパンパだ。

 途中には「サンタクルス」や「キタラフ」、「アルテソンラフ」といった名峰が立ち並ぶのだが、「タウリラフ」はそれらの山とはまったくの別格だ。
 岩壁を氷で鎧った、城塞を思わせる山容。

 これならトッレカーは兎も角も、一目見たクライマー達を、惹きつけずには置かないはずだ。
 ヒマラヤ襞の発達した他のアンデスの峰とは、明らかに一線を画した別の美しさがあるのだ。

 ガイドブックやポストカードでこれまで見てはいたが、今まさにに目前にしてみると垂涎ものの山だった。

 「う〜ん、ここでもう満足!」
 ・・・してちゃ、いけませんね。登りに来たんだから。


サンタクルス谷一泊目幕営地から「タウリラフ」を望む


6月17日
 行動3日目で荷揚げと偵察。
 夜間動くはずのアプローチは、細部までは解らないから、氷河、更には取り付きまでの道を捜さねばならない。
 そろそろ昨日までのサンタクルス谷の長さが、ボディーブローのように効いて来た。

 トレッカーが二日掛ける道を同じように歩くのだからと、アプローチを甘く見て日程を組んだのだが、同じ距離でも私達の場合は、ついついスピードを付けて上がってきてしまう。

 普通のトッレキングツアーでは、荷を背負ったブーロとアリエロ(ロバ使い)が遙か先に天場へ到着し、トレッカー達は各自バラバラに自分のペースでゆっくり歩いてくればいい。
 (羊の群れ並みの日本人ツアーは別として)

 が、そこはクライマーの悲しき性かな?
 流石に平地になると走り去ってしまうブーロ達には付いていけないが、大体はその姿が視界にあるくらいのペースで登っていく。
結局はトッレカーと疲労度は大差ないのかもしれない。


峠越えの道から望む「アルテソンラフ」

 プンタウニオンは遠く、つづら折れの道にはウンザリさせられるが、良く整備されたトッレキングルートだ。
 道から離れ、最近まで氷河があって後退したと思われる白く磨かれたスラブ帯を歩く。

 久野が先行してケルンを捜し、氷河を見通せる場所まで行こうとしてくれたが、やはり氷河自体にトレースを付けなければ、月のない夜間に動けるものでは無さそうだ。
 これは二人でなければ出来ないので、諦めて装備をつける。

 歩き出してすぐ、1週間ほど経ったトレースの窪みを見つけた。
 が、それは引き返している。
 壁のコンディションが悪いのか?嫌な予感がする。

 しかし、そこから僅かの距離で判明した。
 遠くからは見えなかったが、氷河が初めの岩峰の下で大きく縦に割れている。
 大きなクレバス帯が縦断しているのだ。

 何とか上手くその割れ目を縫い向こう側に渡れたとしても、目標とする「ジャジェール」取り付き下部で、更に氷河は荒れている。

 私達二人だけでは、この氷河だけでルート工作にまず二日は見なければならないだろう。
 何ということだろう、距離にして目前の壁に近付くことが出来ない。

 ルートを見つけられないかと、大きく崩れかけたクレバスの端を巻いて下ってみるも、氷河は複雑に崩れていて、やはりリスクが高すぎる。

  「ロープで確保しているから行けそうだ」と思いがちだが、二人同時に、しかも同じ方向に落ちる可能性を持った複雑な氷河はあまりにも危険だ。
 3人で行動するか、他のパーティがいるか、あるいはサポートする人(見ていてくれる人)がいなければ、
 ベースに残してあるテントは一ヶ月以上も無人のままになる可能性すらある。


「タウリラフ北西面」に広がる氷河

 ガイドブックの写真は今から10年も前のものであって、その頃はまだ、私達の歩いてきた白いスラブ帯は、全てが氷河に覆われていたのだ。

 昨年、スロベニア人がこちらから取り付いている。彼らは東壁へ回り込み新ルートを開いた。
 今回はその第2登、もしくは隣に目を付けたラインを目指したのだが・・・
 (ちなみにこの東壁、かなりドライなラインで、今風のクライミングが楽しめそうです。)

 クレバスが大きく崩壊しているところを見ると、更に今年は悪くなったのか?
 それとも降水量のあった昨年より積雪量が少ないのか?
 そこまでは解らないが、何だか「お預け」を食らった気分で、二人並んで呆然とする。

 そうしていたって状況は変わらない。
 仕方なく壁に背を向け、トレースを辿り、デポするはずの荷物をまた担ぐ。
 諦めざる得ない。

 何だか今回はチョピカルキも含めてこんなのばっかり?
 こうなったらもう、気分はすっかりトッレカーだ。
 折角だから東壁側の偵察も兼ねてプンタウニオンへ。


 東壁自体は見えなかったが、この山の下降ルートは東面での懸垂下降の連続となるだけあって、こちらからアプローチし直すことは、計画そのもの練り直しになってしまうだろう。


「タウリラフ東面」
 ただし、上の山自体はタウリラフでなく、その属峰。

 夕暮れ時の残照を受けたラグーナの湖水が、闇に沈んでいくサンタクルス谷の底で、最後の光を放っている。
 だが「タウリラフ」は、差し迫る闇をもってしてもまだ、その存在感を誇示するように目前に佇んでいる。
 またもや私達の山行はアッサリ終わった。

 この谷にはまだ幾多の山があるが、こうしてこの「タウリラフ」を目にした以上は、もう既に他の山は、私達にとって登る対象では無くなってしまったのだ。

 それに何より、下山も含め未知数であり、多少の命の危険を冒してまで取り付いてみたかった壁が遠ざかってしまった限り、もうその緊張感はほどけてしまった。
 他の山ならば十分これからでも登れるだろう。でも、今更どうでも良くなっている。

 12時間後、ヘッドランプの灯りを頼りにグッタリして戻った天場では、既にトッレキングツアーの団体が陣取っていて大賑わいしていた。

 ラッキ〜!
 帰路は「良くてブーロに便乗できるか」、「悪くてブーロを呼んでくれないか」

 そう思ったら、彼らはこれから下山するツアーでは無くって、これから峠越えするツアーだったのでありました。
此処タウリパンパは、サンタクルス谷最奥の地・・・
 さてさて、下山は出来るのか?



6月18日


朝焼けの「アルテソンラフ東壁」


 さあどうやったらここから下山できるのか?
 アルパマヨベースとの分岐にさえ降りられれば、ブーロが居るのは登りで見て知っている。
 しかし9日分の登攀計画で来ただけに、荷物はさっぱり減ってはいないのだ。

 手段としてはそこまでブーロ使いを呼びに行くか、または自力でそこまでは降ろしてしまうか、だ。
 そこで力自慢の久野に頼って、後者を選んだ。

 久野が2往復する間に、私は持てるだけ降ろしてそこでブーロを待つことになった。
 だが、全ての荷物が分岐に降ろされても空荷のブーロはいなかった。

 二人でしばらく待ちぼうけして諦め掛けたところで、馬や沢山のブーロを下山させる若いアリエロ二人を捕まえた。


「も〜今日の仕事はオシメ〜だぁ」 「ほったら家さ、帰るべよぅ」


「一日でも二日でも、同じ金額を払う」
 という私達に対し、

「今からではカシャパンパまでは降りられない。ブーロも疲れている」
 とは言われたが、こちらは降りられればそれでOKだ。

「乗ってみるか?」と言われてポキート(少し)乗ってみました。


み:「いやぁ、ナンか気分はモンゴルの大平原だよ!」(引き馬だけど)気分はすっかり遊牧民♪
馬:「なんだオメッ?オンラはハポンなんざ〜乗せたかねぇだぞ?」


 下りはブーロに付いて小走りで下山していく。
 アリエロ達は交互に馬に乗ってラグーナまで先行しては、熱心に投網して魚を捕ろうとしている。

 街で出されるトルーチャは岩魚っぽいが、捕らえられた魚はパーマークも鮮やかな山女であった。
 馬や牛が群れる湖沼には、泥臭さが漂っている。

 これまでの私の頭にあった、「岩魚や山女といった渓流魚は、清流に住む」という認識は、どうやら改める必要がありそうだ・・・



 宿泊地に来たが、「ウノ・マス・オーラ」もうあと、1時間ね。
 と声を掛けられ更に歩く。

 このままじゃ、カシャパンパに着いちゃわない?って頃に漸く、彼らは仲間のアリエロと合流したらしい。
 ここで宿泊。
 河原で、吸血性のブヨが飛び回っている。

 「明日はまたカシャパンパで9時にお客を迎えるから、出発は6時ね」
 アッサリ宣告をされゲゲッ!と思ったが、無理を頼んだのはこちらなだけに仕方がない。

 彼らは夜もすっかり更けた頃、コンロを借りに来た。どうやらトルーチャが捕れたらしい。



6月19日
 5時起床、まだ暗い中で撤収を始める。

 6時半、近くの岩屋で寝ていたアリエロには何の準備もなく、やっと起きてきた。
 朝に極めて弱い割には、珍しく頑張って早起きした久野が
 「南米時間も大概にしろよな〜」とぼやく。

 散らばっていたブーロを集めて、馬とブーロ各一頭に荷を乗せる。


「オイオイ、まんだ働くんだべさぁ?」 といった感じのブーロはかなりの迷惑顔だ。


 それでも、この谷のブーロはよく働くし大人しい。
 荷を乗せられても、腹を締め付けられても、ジッと耐えている。

 「あっちにええ草が〜あるんだべさぁ」
 「ほーかぇ?そんだら〜みんなでぇ行くっぺぇ」

 みんな仲間同士とても仲が良く、一頭があっちへ行けばみんなゾロゾロ付いていく。

 それに対し、流石に力の強くしかも敏感な馬は、アリエロ二人が押さえていないと荷物を嫌がり載せられない。

 「おらぁ、昨日もようけ働いただぁ!なぁ〜んで荷物さ載せるンだぁ?オメらもチッとは担げぇ?」

 と、横目で見る。
 しかしその瞳はビビリ気味なところが、案外可愛かったりもする。

 並んで歩くブーロ隊の最後尾は、鞍と鐙を付けた白馬だったが、彼だけは乗馬用らしく、蹄には蹄鉄を付けている。
 だから岩場では蹄鉄が滑って宙を蹴る。

 もたつく彼を、革のベルトでアリエロは容赦なく打ち据えたり、蹴りを入れたりしている。

 「馬やブーロは無理には働かせず大事に扱うんだ」と、前日は関心したものだが・・・
 果たしてそれはどこまで本当なのか?
 疑問である。


崩壊地を行く

先頭ブーロ:「確かぁ道はこっちだっぺぇ?」

後続ブーロ:「いんや、上だっぺ?」
        「ホンでも、下が合ってたかもしれんなぁ」
  「ホッタラ、みんな同じ方へ行くべぇ」

アリエロ:「コラァッ、お前ら何処行くんだ!」

 1時間も歩けば狭い渓谷の向こうに、明るい耕地が広がった。カシャパンパだった。

 谷の入り口の木戸で、今来た道を振り返った。
 4年前にこの木戸から入った後、再び生きてこの木戸を通ることの無かった友人を想った。

 あの日、私達は朝陽に染まっていくコルディエラ・ブランカの頂の一つ一つを、「ピスコ」から眺めていた。
 その頂のもとで、兄同然の彼のその命の灯りが、今まさに尽きようとしているとは、思いも寄らぬことだった。


 
 出口の十字架に手を合わせ黙祷する。今日は、彼の4回忌の命日だ。



6月20日
 改めて「タウリラフ」を、デジカメの画像とガイドブックの写真とを比較対照し、氷河の状態を調べてみた。
 解ったことは10余年前に比べると、既に下部三分の一は氷河が失われていたことだ。
 壁そのものの状態は余り変化が見られない。
 だがその裾に広がる氷河末端が壁に近づくことによって、基はあった氷河の安定した部分が無くなり、崩壊の進む部分ばかりに覆われてしまっている。

 近年、標高の低い(そうはいっても4千b台だが)ヨーロッパでは、岩壁の割れ目に入っていた氷が溶けたり、凍ったりを繰り返すことで、壁そのものの崩壊が進んでいる。

 ユーロ高もあるが、私達がより標高の高い壁に登攀を求めたのは、そんな処にも理由があるのだ。
 標高のある5〜6千b台のには、その壁の向きによって影響の大小は有れど、影響は少なくて済む。
 だがやはり、4千b台周辺での氷雪の変化は、ヨーロッパを例に取れば夥しいのが道理だろう。
 果たしてそこまでは計算に入っては居なかった。

 既にチョピカルキ山頂6千b付近でのクレバスの大きな変化、ガイドブックとは全く違った山容に、うっすらとした危機感は持っていたのだが・・・・
 恐るべしは、地球温暖化である。


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